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タイタニックの音楽隊は実話?生存者と最後の曲を8人の記録から調べてみた

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映画
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映画『タイタニック』で、沈んでいく船の上で演奏を続ける楽団の場面。あそこがいちばん泣けるという人は多いと思います。 2026年9月11日(金)よる9時の金曜ロードショーで放送されるのが後編で、この場面が出てくるのは後編のほうです。放送を前に「あれは実話なのか」「誰か助かったのか」を、タイタニックの犠牲者記録と1912年当時の新聞から調べ直してみました。
この記事で分かること
・音楽隊は実在したのか
・8人の名前・年齢・担当楽器
・生存者がいたのかどうか
・最後に演奏した曲の2つの説

音楽隊は実在した。乗っていたのは8人

先に答えを書くと、映画の音楽隊は実在します。1912年のタイタニックには8人の楽団員が乗っていました。
名前年齢出身担当
ウォレス・ハートリー33イングランド・コルンバンドマスター/ヴァイオリン
ジョック・ヒューム21スコットランド・ダンフリースヴァイオリン
ジョルジュ・クリンス23ロンドンヴァイオリン
ロジャー・ブリクー20フランスチェロ
ジョン・ウッドワード32イングランド・オックスフォードチェロ
パーシー・テイラー40チェロ
ジョン・クラーク28イングランド・リヴァプールベース
ウィリアム・ブレイリー24ロンドンピアノ
いちばん若いロジャー・ブリクーさんが20歳、いちばん年上のパーシー・テイラーさんが40歳。8人を足して割ると平均は27.6歳。思っていたよりずいぶん若い人たちでした。 もうひとつ知らなかったのが、彼らは船会社の社員ではなかったことです。リヴァプールの音楽事務所と契約して乗っていて、船の中では二等船客として扱われていました。

生存者はいない。遺体が見つかったのも3人だけ

つらい話ですが、ここははっきりしています。8人全員が亡くなっていて、生存者はいません。 さらに記録を見ると、遺体が収容されたのは8人のうち3人だけでした。
名前収容番号
ジョック・ヒューム193
ジョン・クラーク202
ウォレス・ハートリー224
ハートリーさんの遺体は1912年5月4日に収容され、ハリファックスからボストンを経てリヴァプールへ運ばれ、5月12日に到着。そこから故郷のコルンへ送られて、少年時代に聖歌隊にいた教会で葬儀が行われました。
収容されたときの記録には、身につけていた物まで残っています。金の万年筆に「W.H.H.」のイニシャル、ダイヤの指輪、銀のシガレットケース、そして「Bandmaster Titanic」宛の電報。この細かさに、記録として残っているものの重みを感じました。
タイタニックの音楽隊は実話?生存者と最後の曲を8人の記録から調べてみた

実は「1つのバンド」ではなかった

ここが調べていていちばん驚いたところです。 この8人は、沈没の夜まで一緒に演奏したことがありませんでした。船の中では2つの別々のグループとして動いていたからです。
編成メンバー演奏していた場所
五重奏ハートリーが率いる5人ティータイム、夕食後のコンサート、日曜の礼拝など
三重奏クリンス、ブリクー、ブレイリーアラカルトレストランとカフェ・パリジャン
つまり8人がそろって演奏したのは、氷山にぶつかったあの夜が最初で最後ということになります。映画では最初から1つの楽団のように見えますが、実際は別々に働いていた人たちが、あの晩に一か所へ集まった。ここは表にしてみるまで見えませんでした。
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最後に演奏した曲には2つの説がある

いちばんよく知られているのは、讃美歌「主よ、みもとに近づかん(Nearer, My God, to Thee)」です。1912年4月21日のニューヨーク・タイムズにも「沈む船の楽団はふさわしい讃美歌を選んだ」という見出しの記事が出ていますし、同じ月のトロント・デイリー・スターにも同じ趣旨の記事があります。 ただし、タイタニックの研究者向けのアーカイブでは、この讃美歌の話は「伝説によれば(according to legend)」という書き方をされています。記録として確定した話ではない、ということです。
根拠
本命主よ、みもとに近づかん1912年当時の複数の新聞記事。映画もこちらを採用
対抗Songe d’Automne(秋)別の資料で「最後はこの曲だった」とする説がある
分かっているのは、衝突のあと、まずラグタイムのような明るい曲を演奏していたことです。乗客を落ち着かせて、救命ボートに乗せる作業を進めるためでした。最後の1曲が何だったかは、聞いた人の証言が分かれています。助かった人たちは船から離れた場所にいたので、聞こえ方も違ったはずです。

ここから少し個人的な話をさせてください

この記事を書くのに、1912年の新聞の見出しを何本か読みました。「水が迫るなか、まだ演奏していた」「彼らの音楽は自分たち自身への鎮魂歌となった」。事故から1週間で、もうこういう言葉で書かれているんですよね。 正直なところ、私は最初「美談として作られた話なんじゃないか」と思って調べ始めました。結果は逆で、8人の名前も年齢も出身地も、遺体の収容番号まで残っていた。ここで手が止まりました。作り話ならこんな細かい記録は残りません。 一方で、いちばん有名な「最後の曲」のところだけが「伝説によれば」と書かれている。全部が事実でも、全部が確定でもない。この距離感が、114年前の出来事を今調べるということなんだと思いました。 うちには子どもが3人いますが、上の子が「タイタニックって本当にあったの」と聞いてきたら、たぶん船の話より先にこの8人の話をすると思います。名前が残っている人たちだからです。 なお、タイタニックの前編と後編の区切りについてはタイタニックの前編はどこまで?金曜ロードショー2週分の区切りを調べてみたに、吹き替え版の話はタイタニックの後編は9月11日!石田彰の吹き替え版が配信にない理由を調べてみたに書いています。
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ハートリーのヴァイオリンは今も残っている

最後にひとつ。ウォレス・ハートリーさんが持っていたヴァイオリンは現存しています。 2013年のオークションで90万ポンド(当時の日本円でおよそ1億4000万円)で落札されました。タイタニック関連の品としては過去最高額です。本物かどうかを確かめるために、何年もかけた鑑定が行われたという記録も残っています。
タイタニックの音楽隊は実話?生存者と最後の曲を8人の記録から調べてみた

まとめ

・タイタニックの音楽隊は実在。乗っていたのは8人
・8人全員が亡くなっていて、生存者はいない。遺体が収容されたのは3人だけ
・沈没の夜まで、8人は五重奏と三重奏の2グループに分かれていた。そろって演奏したのはあの晩だけ
・最後の曲は「主よ、みもとに近づかん」説が有名だが、研究アーカイブでは「伝説によれば」と書かれている
・ハートリーのヴァイオリンは2013年に90万ポンドで落札された
・後編の放送は2026年9月11日(金)よる9時、金曜ロードショー
放送を見たあとに「あの場面は本当にあったのか」と検索する人が多いところだと思います。この記事がその答え合わせになれば。

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