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ひょうきん族のエンディング歴代12曲を並べてみた!EPOと山下達郎とユーミン

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ひょうきん族のエンディング歴代12曲を並べてみた!EPOと山下達郎とユーミン バラエティ
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『オレたちひょうきん族』の終わりに流れていたあの曲、タイトルが出てこない。そんな「なんだっけ」に答えるために、1981年から1989年までのエンディング曲を全部並べました。 きっかけは、“懺悔の神様”ブッチー武者さん(74)の近影が2026年10月6日に西スポWEB OTTO!で紹介されて話題になったこと。懺悔室を思い出すと、そのあとに流れた曲まで一緒に思い出したくなります。
この記事で分かること
・ひょうきん族のエンディング曲 歴代12曲と使われた時期
・山下達郎さん、EPOさん、ユーミンの曲名と収録アルバム
・並べてみて見えた「土曜日」と「発売前に流れていた」共通点

ひょうきん族のエンディング歴代12曲を一覧で並べてみた

先に答えです。音楽ライターの鈴木啓之さんがRe:minderに書いた記事では、エンディングは同じ曲の別バージョンも含めて全12曲とされています。時期と曲名をその記事と各社の公式情報で突き合わせて並べると、こうなります。
使われ始め歌った人曲名
1981年5月16日(第1回のみ)—星に願いを
1981年5月(第2回から)EPODOWN TOWN
1982年10月EPO土曜の夜はパラダイス
1983年3月(4回だけ)麻香ヨーコグラマー・ボーイ
1983年4月山下達郎パレード
1983年12月EPO涙のクラウン
1984年10月EPODOWN TOWN(スタジオ収録の新バージョン)
1985年10月山下達郎土曜日の恋人
1986年10月松任谷由実土曜日は大キライ
1987年10月松任谷由実SATURDAY NIGHT ZOMBIES
1988年10月松任谷由実恋はNo-return
1989年10月7日(最終回直前スペシャル)松任谷由実(荒井由実時代の曲)卒業写真
そして1989年10月14日の最終回は、EPOさんの「DOWN TOWN」で締めくくられました。
使われ始めの月は上の表のとおりですが、それぞれが何月まで流れていたかの「終わり」の月は、資料により異なります。フジテレビの公式な記録は見つけられなかったため、表では始まりの月だけを書いています。
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最初はEPOの「DOWN TOWN」で、最後もDOWN TOWNだった

いちばん「あの曲」と言われやすいのが、EPOさんの「DOWN TOWN」です。作詞は伊藤銀次さん、作曲は山下達郎さん。もともとはシュガー・ベイブの曲で、EPOさんは1980年3月にこの「DOWN TOWN」でデビューしています。 音楽サイト「otonano」に載ったEPOさんのロングインタビューでも、ひょうきん族のエンディングとして流れるようになったことで名前が一気に広まった、という流れで語られています。 そのあと1982年10月からはEPOさん自身の作詞作曲「土曜の夜はパラダイス」に交代。1983年12月からは3度目の登板で「涙のクラウン」が流れました。「涙のクラウン」はシングルにはならず、1984年2月のアルバム『HI・TOUCH-HI・TECH』に入っている曲です。 1984年10月からは、テレビスタジオで録り直した新しい「DOWN TOWN」に。ここからエンディングはきっちり1年ごとの交代になっていきます。 数えてみると、EPOさんが歌った曲は「DOWN TOWN」2バージョンを含めて4つ。そこに最終回の「DOWN TOWN」も足すと、番組の初期と最終回の両方をEPOさんの声が担当していたことになります。
最初と最後のエンディングになったEPOさんの「DOWN TOWN」は、CDが楽天で買えます。
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山下達郎の曲名は「パレード」と「土曜日の恋人」

「ひょうきん族の山下達郎の曲」で検索する人が探しているのは、たいてい次のどちらかです。
曲名使われ始め入っている盤
パレード1983年4月1982年に再発されたシュガー・ベイブ「DOWN TOWN」のカップリング
土曜日の恋人1985年10月1985年11月のシングル(15枚目)/アルバム『POCKET MUSIC』1曲目
「土曜日の恋人」は1985年10月から1986年9月までの1年間、エンディングで流れていました。音楽ナタリーの連載で西寺郷太さんがこの期間を書いています。山下達郎さんの公式サイトのディスコグラフィでも、アルバム『POCKET MUSIC』の1曲目が「土曜日の恋人」です。 もうひとつ見落としやすいのが、「DOWN TOWN」の作曲も山下達郎さんだということ。歌っているのはEPOさんでも、曲を書いたのは達郎さん。こうして見ると、8年半のエンディングのかなりの部分に、山下達郎さんの書いた曲が流れていたことになります。 1983年3月に4回だけ流れた麻香ヨーコさん「グラマー・ボーイ」も、作曲は村松邦男さん、編曲は伊藤銀次さんと、どちらもシュガー・ベイブにいた人たちの仕事だと先ほどのRe:minderの記事に書かれています。エンディングの前半は、ほぼシュガー・ベイブの人脈でつながっていたと言ってよさそうです。
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ユーミンの曲名は3曲と、最後の「卒業写真」

後半の1986年10月からは、松任谷由実さんの曲が3年続けてエンディングになりました。
曲名使われ始め入っているアルバム(発売日)
土曜日は大キライ1986年10月ALARM à la mode(1986年11月29日)
SATURDAY NIGHT ZOMBIES1987年10月ダイアモンドダストが消えぬまに(1987年12月5日)
恋はNo-return1988年10月Delight Slight Light KISS(1988年11月26日)
卒業写真1989年10月7日の1回COBALT HOUR(1975年6月20日・荒井由実名義)
アルバムの発売日は、すべてユーミンの公式サイトのディスコグラフィから取りました。 ユニバーサル ミュージックの公式ページ(『ユーミン乾杯!!』)には、RHYMESTERのコメントとして「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」が1987年10月から1年間使われたことが書かれています。同じコメントの中で、RHYMESTERは2012年のユーミン40周年の武道館ライブでこの曲をカバーしたことにも触れています。このページ自体が、ユーミンのコラボベストアルバム『ユーミン乾杯!!』の公式紹介ページです。

並べてみて分かった「土曜日」と「発売前に流れていた」こと

ここからは、表を作りながら気づいたことを長めに書かせてください。 まず目に入るのが、曲名の「土曜」の多さです。「土曜の夜はパラダイス」「土曜日の恋人」「土曜日は大キライ」「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」。12曲中4曲のタイトルに土曜日が入っています。「DOWN TOWN」も歌詞に土曜日の夜が出てくる曲です。土曜の夜8時の番組だから土曜日の曲、というのはシンプルですが、8年半それを続けたのは筋が通っていて、見ていた人の中で「土曜日といえばこの曲」になったのも自然だと感じます。 もうひとつ、アルバムの発売日と表を見比べて気づいたのが、ユーミンの3曲はどれも、アルバムが出る前の10月からエンディングで流れていたことです。「土曜日は大キライ」は約2か月前、「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」も約2か月前、「恋はNo-return」は約1か月半前。山下達郎さんの「土曜日の恋人」も、シングルの発売は1985年11月で、エンディングは10月からです。 つまり当時は、新曲をいちばん先に毎週聴ける場所が、土曜夜のひょうきん族のエンディングだったということになります。今なら配信で発売日の0時にすぐ聴けますが、1980年代はそうはいきません。テレビの最後の数十秒で曲を覚えて、発売日を待ってレコード店に行く。その流れがあったからこそ、エンディング曲がそのまま「時代の曲」として記憶に残っているのかもしれません。ここは公表された情報ではなく、日付を並べてみての考察です。 うちは子どもが3人いて、9歳・5歳・3歳。土曜の夜8時台は、子育て中の家だとまだまだバタバタしている時間帯です。それでも、親世代が「ひょうきん族の最後の曲」として覚えているのは、番組の中身よりも、終わりの曲が週に1回きっちり流れ続けたからだろうなと、調べながら思いました。番組の内容は忘れても、曲だけは体が覚えている。12曲を並べてみると、そういう残り方をする番組だったのだと感じます。
エンディング曲を全部まとめた1枚の公式CDは、2026年10月8日(木)時点で調べた範囲では見つかりませんでした。曲を聴くなら、EPOさん・山下達郎さん・ユーミンそれぞれのアルバムを当たるのが近道です。
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懺悔の神様ブッチー武者さんの近況とエンディング曲の聴き方

最後に、この記事のきっかけになった話題です。西スポWEB OTTO!(2026年10月6日)によると、ブッチー武者さんは自身がプロデュース・主演する舞台「生きる」で新宿区から感謝状を受け、その近影が「懐かしい」と話題になりました。現在は劇団「ZANGE」を主宰し、東京・歌舞伎町でお店も経営しています。記事では「ひょうきん懺悔室」は1983年からのコーナーとされていて、そこから数えて43年になります。 懺悔室のあとに流れたのは、時期によって曲が変わります。1983年の春から秋なら「パレード」、1984年の春なら「涙のクラウン」、1985年の秋から翌年の夏なら「土曜日の恋人」、1987年の秋から翌年の秋なら「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」。自分が見ていた年を表に当てはめると、思い出したかった曲名にたどり着けます。 番組そのものを見返したい人には、DVD『オレたちひょうきん族 THE DVD 1981~1989』が出ています。80年代のフジテレビ番組が気になった人は、なるほどザワールドの歴代リポーターを並べた記事も、80年代の名曲を歌う番組をまとめたSONGS20年ベスト80年代名曲集の記事もあわせてどうぞ。

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